押入れ、屋根裏、九龍城

インドア、たまにアウトドア

フリクリ・オルタナを見たので感想

 

フリクリオルタナ、見てきました。

映画館には僕の他に4人しかいなくて、正直見る前から不安しかなかったです。

 

内容ですが、結論から言えば「個人的にはそれほど嫌いじゃない」といった感じ。

ただ、「フリクリ」としてみた時に価値があるかと言われると、ちょっと微妙かなと思う。

 

なんと言ってもハル子さん。

相変わらずの破天荒ぶりではあったけど、それだけでしかないような。

フリクリ」におけるハル子さんの魅力は、ある意味では子供っぽく、破天荒に主人公たちを振り回したり、背中を押したりするような自由なあり方と、譲れない目的があって、その目的のためならすべてを犠牲にしかねないような冷徹な大人の表情を併せ持つところだと思ってます。

 

これはフリクリの主題の一つである「大人と子供」にも関連して、この作品の根幹をなす要素だと思うのですが、「オルタナ」のハル子さんは一体何がしたいのか終始わからなかった。

目的があるであろうことは匂わせているものの、やってることは主人公たちの手助けだけで、もはやただの破天荒でかっこいいおねーさん。

ハル子さんである意味がなくて、もっと言えばフリクリである意味もない。

 

それと、OVAを意識したのであろうエピソード単位の構成。

主人公たち4人の女子を順番に掘り下げていくのですが、それぞれの間で暗転して「Next Episode」という文言が挿入されます。

これがちょっと微妙。

30分単位のアニメを連続して観ているような気分になる。

しかも強制的に休息を挟まれるから、落ち着いてしまってリズムが狂う。

単純に上映時間が長いこともあって、妙に疲れた。

正直この構成はよくないと思う。

 

結構散々言ってますが、ならどうして「そんなに嫌いじゃない」のかといえば、理由はいくつかあります。

 

まず、単純に「フリクリ」と「オルタナ」はパラレルワールドだと思っているからです。

これには一応根拠があって、もちろん「オルタナ」という副題(音楽用語もそうだけど、ここでは文字通りの意味で)や、明らかにOVAを意識したエピソード単位の構成もそうなのですが、物語の終盤でおっさんが「事象の地平線」と呼んだワームホールのようなもの。

ここに吸い込まれたハル子さんが走馬灯のように「フリクリ」を幻視していたからです。

「事象の地平線」なんてよくわからない言葉ですが、地平線とは普段は気づくことのできない地球の輪郭そのものなわけですから、「事象の地平線」とは普通知りようのないものごと(並行世界とか)の一端に触れうる場だと思うのです。

 

パラレルワールドとして考えるなら、「フリクリ」とは違う物語として、まあ無しではないかなと。

もちろんパラレルワールドならなんでもいいというわけではないですが「フリクリ」の数年後がアレです、というよりはいいかなと。

 

もうひとつは、ピロウズの曲の使い方がよかったこと。

効果的なタイミングでいい曲が流れてたように思います。

やっぱりピロウズの曲がかかると「おおおお!」ってなる。

ただ、陳腐な言い方をすれば曲に対する愛は「フリクリ」ほど感じられなかった気がしています。

なんというか、映画の演出の手段として曲を流してるような(そりゃそうなんだけど)。

悪く言えば「ピロウズ流してるよ?フリクリっぽいでしょ?」と言われてるような。

さすがにこのへんは邪推っぽいですし、個人の感想です。

 

最後に、4人の女子高校生たちのキャラクターが魅力的だったこと。

大人っぽくて、自分でも大人だと思ってて、だけどどうしようもなく高校生だったり、自立することに固執するあまり意固地になってしまったり、大人であることを強いられていたり、周りを気にしすぎて勝手に焦って空回りしていたり。

四者四様(?)の現代っ子ぽい「大人と子供」をみせてくれたのは単純に面白かった。

 

 

なんにせよ、予告編を見ていても「プログレ」が本命の気がする。

オルタナ」の評価も「プログレ」を観て振り返ってから固めるのがよさそう。

 

とりとめのない文章ですみません。

読んでくださった方がいたら、ありがとうございました。